ER日記(5):66歳男性の胸痛

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0566歳男性の胸痛

救急医療は、運ばれてきた患者と救急医との関係だけで成立するものではない。患者が病院に着くまでに、あるいは救急医の診察を受ける前での決定的瞬間がある。

歩いて来院した胸痛の患者

夜の10時頃、66歳の男性が胸の痛みを訴え、奥さんに付き添われて歩いてER(救急室)にやって来た。ウォークインでの来院である。その男性は受付の前にある待合の椅子に横になった。奥さんはERのナースステーションで、ごく普通の様子でERナース(ER看護師)に話しかけてきた。

「うちの主人が、胸が痛いと言っているのですが、どうしたらいいですか?」
奥さんの様子から緊迫感はない。しかし「胸痛」という言葉を聞いたERナースは、奥さんに受診手続きを受付で行うように言い、自分はその男性のところへ走って行った。椅子に横たわっていたその男性は胸を押さえ、血の気が引いた真っ青な顔をして冷や汗をかいていた。

ERナースが「どうしましたか?」と聞いても、その男性は辛そうに、「胸が痛い」としか言わない。脈を取ると徐脈になっている。「動けますか?」と質問しても、首を横に振るだけである。自分で動こうという気力もなくなっているようである。これを見たERナースは、ただごとではないと判断し、近くに置いてあった車椅子にその男性を乗せ、ER(救急室)に運び込み、そのままストレッチャーにその男性を移した。

心電図で心筋梗塞と判明

「先生! 胸痛です!」
ERナースが大声で呼ぶと、何人かのERドクター(ER医師)が直ぐに集まってきた。患者の心電図はすでにERナースによって取られていた。
「AMI(心筋梗塞)だ! 循環器(循環器医師)を呼んでくれ!」
心電図を見たリーダー医師の声が飛んだ。

心筋梗塞の患者は大部分が救急車で搬入される。しかし、時にウォークインでの来院もある。歩いてきた心筋梗塞患者に対する対応は、救急車でのそれよりも緊張感がある。この患者は、意識は清明で、血圧・呼吸状態も問題はない。緊急の心臓カテーテル検査になる予定である。点滴ラインの確保、入院時の血液検査から始まり、カテーテル検査に向けての準備があわただしく行われていた。

突然起きた急変

ところがその時である。患者が急にうなり声をあげて痙攣を起こした。ERに搬入されてから約10分経過した時の出来事である。意識(反応)もない、呼吸もない、脈も触れない。心電図モニターの波形も変った。心室細動(心肺停止)である。
「VF(心室細動)だ! 除細動器を(電気ショックを)! 除細動器を(電気ショックを)持ってきて!」

リーダー医師の声が飛ぶ。すでにCPR(心肺蘇生)が始まっている。直ぐに除細動器が持ってこられ、除細動(電気ショック)が行われた。そして再度、CPR(心肺蘇生)が始まった。その後、患者に体動がみられ、目を開けて、話し始めた。そしてモニター波形も洞調律に戻った。すばやい対応が幸を制し、この患者はその後心臓カテーテル室に運ばれた。患者がER:に来院後、わずか30分間の出来事である。

救急車での来院は、ホットライン(救急室との直通電話)経由で連絡が入ってから来院までに一般的に5分から10分以上の余裕がある。だから人や物及び心の準備もできる。しかし、ウォークインでの来院は、ほとんどが軽症の患者のため、その中にまぎれた重症患者は奇襲に似たものがある。その場合も迅速に正確に業務をこなすことがERでは要求される。

一番の功労者は、患者のもとに走って行ったERナース

今回、奥さんがナースステーションのERナースに声をかけなかったら、またはそれを聞いたERナースが迅速な対応をしなかったら、どうなっていただろうか。患者は通常の流れにそって受診手続きが完了するまで待合で診察を待つことになっていた。時間経過からして診察を待っている最中に心室細動(心肺停止)に陥っていたであろう。

そこで異常事態に気づき、診察室に運ばれ、医師を呼んで治療が始まる。心室細動は、発症後何もしなければ除細動(電気ショック)をかけるまでの時間が1分遅れるごとに救命率が7~10%ずつ下がっていく。10分以上放置されればほとんど救命されない。

もし心室細動が起こった時、待合で待っていたら救命率は半分以下になっていたであろう。救命されなかったかもしれない。今回の一番の功労者は患者のもとに走って行ったERナースである。彼女の貢献なくして患者の命は救われなかったであろう。

心筋梗塞の最悪のシナリオが危機一髪で最良の結果に

ER(救急室)の待合で奥さんがERナースに声をかけ、症状を聞いたERナースがすぐさま適切な行動をとったことにより、最悪のシナリオになる危険が危機一髪で最良の結果になった。もし、自家用車で病院に来ている途中で心肺停止が起これば死亡していただろう。また、奥さんがERナースに声をかけるのが遅かったら、またはERナースの対応が遅かったら患者は助かっていないかも知れない。そういう意味では幸運以外のなにものでもない。

患者は締め付けられるような胸の痛みを訴え、冷や汗をかいていた。典型的な心筋梗塞の症状である。このような症状をみたら一番に心筋梗塞を疑い、絶対に救急車を呼び、自家用車で病院に連れて行ってはならない。急変の危険があるからだ。現在では、このことを一般市民も知っていなければならない時代になっている。つまり、助かるはずの命が助かるためには一般市民も知っておかなければならないことがあるということである。

心筋梗塞の死因の大部分は発症後間もない時間に起こる合併症

心筋梗塞の死亡率が高い原因は発症後間もない時間に起こる合併症のためである。その合併症とは心肺停止(心室細動、心室頻拍、無脈性電気活動、心静止)と重症不整脈(症候性徐脈、不安定な頻拍)である。これらの合併症はいつ起こるかもわからない。起こらないかもわからない。起こった場合は致死的で、死亡する可能性が非常に高くなる。米国では心筋梗塞で死亡する人のうち病院に来るまでに半分が死亡するといわれている。つまり、心筋梗塞後に起こる心肺停止のためである。

心筋梗塞を疑ったまたは診断した場合は、いつ起こるかもわからない致死的合併症(心肺停止、重症不整脈)を常に念頭に置いて行動をとらなければならない。現在、意識が清明だから、とかバイタルサインが安定しているとか言っても、次の瞬間は急変しているかもしれないためだ。今回の話は、このことを如実に物語った典型的な症例である。

心筋梗塞後に起こる合併症への対応はACLSの実践!

心筋梗塞後心肺停止を起こすと、ほとんどが今回のように心室細動(VF)または心室頻拍(VT)となる。これらに対する治療は除細動(電気ショック)しかない。前述したとおり何もしなければ(CPRをしていなければ)除細動までの時間が1分遅れるごとに救命率は7~10%ずつ低下する(1)。10分を超えるとほとんど救命されないことになる。

しかし、除細動までの間に質の高いCPRが行われていると救命率の低下は除細動が1分遅れるごとに3~4%の低下にとどまり、何もしないときに比べて救命率は2~3倍高くなる(図2)。詳細はカテゴリー「03」心肺蘇生・AED」の「01、心肺停止と救命率」を参照のこと。

【図1】除細動までの時間と救命率、その1 【図2】除細動までの時間と救命率、その2

ただ、心肺停止後放置されたり、非常に重篤な場合は、無脈性電気活動(PEA)や心静止(asystole)に移行してしまう。こうなると救命は非常に難しくなる。つまり、心室細動(VF)や心室頻拍(VT)の場合は、救命の可能性が残されているが、無脈性電気活動(PEA)や心静止(asystole)となると救命はほとんどできないということである。

米国では、Heart Attack(心臓発作、つまり心筋梗塞)を疑えば、必ず救急車を呼ぶようにと一般市民に啓蒙を行っている。自力で病院へ行って、行く前に急変が起これば取り返しがつかないからだ。

医療従事者であれば、心筋梗塞を疑えば、1秒でも1分でも速く、合併症がおこる前に専門家の元に運ばなければならない。そして、初期診療としてすべきことは当然として、目の前で急変が起きてもその対応方法を熟知しておかなければならない。この急変に対する対応は、ACLS(2次救命処置)の実践そのものである。

【医学的まとめ】

1、心筋梗塞が原因による死亡原因で最も多いものは、心筋梗塞発症後間もない時間に起こる致死的合併症である。その致死的合併症とは心肺停止と重症不整脈である。

2、これら心肺停止と重症不整脈への対応はACLS(2次救命処置)の実践そのものである。そのため、医療従事者はACLSが実践できることが必要条件となる。

3、心筋梗塞後の心肺停止は、当初ほとんどが心室細動(VF)または心室頻拍(VT)である。これらが放置されたり、非常に重篤な場合は無脈性電気活動(PEA)や心静止(asystole)に移行してしまう。

4、心室細動(VF)または心室頻拍(VT)に対する治療は除細動(電気ショック)のみで、心肺停止に対して何も行われていなければ(CPRを行わなければ)、除細動が1分遅れれば救命率は7~10%ずつ低下し、10分を超えるとほとんど救命されない状況となる。

5、心室細動(VF)または心室頻拍(VT)に対して、質の高いCPRが行われていれば、除細動(電気ショック)が1分遅れるごとに救命率の低下は3~4%の低下にとどまる。その結果、質の高いCPRをした場合は何もしない場合に比べ救命率は2~3倍高くなる。

6、無脈性電気活動(PEA)や心静止(asystole)における救命率は非常に低い。

7、一般市民が心筋梗塞(典型的には絞扼感を伴う胸痛)を疑った場合は、必ず救急車を呼ばなければならない。自力で病院へ行ってはいけない。

8、医療従事者が心筋梗塞を疑う、または診断した場合は、1秒でも1分でも速く専門家の元に運ばなければならない。

9、上記「7」、「8」の理由は、心筋梗塞後の致死的合併症を起こす前に専門家の治療が始まらなければならないためである。

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