06、58歳男性の急性アルコール中毒
飲酒後転倒し、頭部を打撲して救急搬入された。患者は医師や看護師の言うことを無視して帰宅した。その後に何も起こらなければ良いのだが・・・。
飲酒後転倒して、頭部を打撲した男性が救急搬入
夜中の0時ごろである。56歳の男性が急性アルコール中毒、頭部打撲ということで救急搬入された。どうやら、この男性は飲酒後一人で自転車に乗っていて電柱にぶつかり転倒したらしい。そこを通りかかった人に発見され救急車が呼ばれたとのことである。
患者からはすごいアルコール臭が漂っている。そして、前額部には挫創がみられ、左目の横に1cmぐらいの小さな裂創がみられた。ERの医師も看護師もこの患者を見てため息をついた。ERでは、急性アルコール中毒の患者は決して少なくない。夜中になると、「急性アルコール中毒+外傷」というパターンが多くなり、診療する側にとっては大変なことがたくさんある。
ERナースが血圧、心拍数、酸素飽和度、呼吸数、体温などのバイタルサインを取っている。ERナースもERドクターも状況や現在の状態を調べるため患者に質問を始めた。すると、当初はおとなしかった患者が急に多弁になり診療拒否の態度に変わってきた。ちなみに、救急隊が現場到着したときはかなり酔っていたようだがしゃべることができ、救急車内では静かに横になっていたとのことであるである。
急に多弁になり診療拒否
「ここはどこだ?」
「ここは病院ですよ。今日はどうしました? 頭を打ったことを覚えていますか?」
「何? 病院? 何で俺が病院に居るんだよ。俺は元気だぞ、俺は帰るぞ。」
患者とERナースの会話が続いている。全く会話がかみ合っていない。そこで、全くかみ合わない会話に痺れを切らした女性のERドクターが患者に質問を始めた。
「あなたはお酒をかなり飲んでいるようですね。」
「そうだよ、酒を飲んで悪いのか。」
「いえいえ、そういうことではなく、お酒を飲んだ後、自転車に乗って転倒して頭を打ったようなのですよ。」
「何? 自転車で転倒して頭を打った? そんなことはないぞ、そんなことはどうでも良いの、俺はどこも痛くないぞ。」
「そんなことない、ではなく、そうなのですよ。」
「お姉ちゃん、嘘を言ってはいけないよ、だまそうとしてもだまされないからな。ここは何と言う店だ?」
「私は飲み屋のお姉ちゃんじゃないのですよ。何を言ってるのですか。」
患者はストレッチャーから起き上がろうとし始めた。お姉ちゃん呼ばわりされたERドクターは少しむきになって患者をストレッチャーに寝かせようとしている。ERナースは患者もERドクターも両方を落ち着かせなければならなくなった。患者の抵抗はだんだん激しくなってきた。ERナースが診察の必要性を説明しているが酔っている患者には馬の耳に念仏である。そして誰の言うことも聞こうとせず、帰る、帰る、の一点張りとなった。
奥さんが来院、患者は奥さんと一緒に帰宅
そこへ、患者の奥さんが警察からの連絡を受けて駆けつけてきた。ERドクターが、来院してからの患者の状況を奥さんに説明した。奥さんは、酒に酔うといつもこうなのですと、頭を下げながら恐縮している。そして奥さんが患者(夫)に説得を始めた。
「お父さん、頭を打ってるのだから、検査を受けてよ。先生も検査をせんといかんと言ってるでしょう。」
「俺は頭なんか打っていない。俺は大丈夫、あの姉ちゃんの言うことなんか聞く必要なし。」
患者は全く聞く耳を持たない。二人の会話は全くの平行線である。患者は帰るつもりでERを出て行こうとしている。ERドクターもERナースも引き止めて検査を受けさせようとしたが、すればするほど患者の抵抗はひどくなった。
どうしようもなくなった奥さんが、ERドクターに話しかけた。
「先生、すいません。こうなったらあの人は言うことを聞かないんですよ。皆さんにご迷惑をおかけしますので、本日はとりあえず連れて帰ります。」
「そうですか、しかし、困りましたね。頭を打っているのに何の検査もしてないんですよ。もし、何かあったら大変ですしねぇ。」
「いいですよ。何かあったら連れてきますから。」
「わかりました。それでは頭部打撲の注意事項を書いた紙を渡しますので、何かあったら至急に連れてきてください。」
ERドクターもどうしたら良いかわからないまま成り行きでこのようになってしまった。
はたしてこの対応で良かったのか?
急性アルコール中毒の患者が歩行中または自転車で走行中に転倒して頭部を打撲することは珍しくない。急性アルコール中毒患者の最も懸念される問題点は、急性アルコール中毒に付随する頭部打撲で、これによる頭蓋骨骨折や外傷性頭蓋内出血(脳挫傷、急性硬膜下血腫、急性硬膜外血腫など)である。発見が遅れて外傷性頭蓋内出血で死亡する患者がいることも事実である。
ERでは、急性アルコール中毒の患者で頭部外傷がある、またはそれが疑われる場合には必ず頭の検査(頭部単純レントゲン、頭部CT)を行わなければならない。単に急性アルコール中毒のみと診断して帰宅させ、翌日に意識レベルが低下して救急搬送され、外傷性頭蓋内出血であったということは珍しくないからだ。
しかし、今回は、頭の検査を行わなければならなかったにもかかわらず、このような状況で頭の検査を行わずに帰宅させることになってしまった。今後何もなければ良いが、何かがあれば大変である。
帰宅させた患者が、救急車で再搬入!
夜が明けて早朝、この患者の反応がおかしいということで、救急車で再度搬入された。奥さんに話を聞くと、帰宅後はすぐに眠り問題はなかったが朝になっても起きてこないので起こしにいくと反応がおかしいことに気付き救急車を呼んだとのことである。救急搬入時、患者の意識レベルは昏睡で、至急で頭部単純レントゲンと頭部CTを撮ると、頭蓋骨骨折と急性硬膜外血腫が認められた。患者はそのまま緊急手術となった。
奥さんはERドクターに夜中と同様に「すいません。」と言いながら何度も頭を下げていたが、ERドクターもこの経過に対して責任を痛感していた。後の祭りではあるが、急性アルコール中毒による頭部打撲は鎮静してでも(眠らせてでも)頭の検査(頭部単純レントゲン、頭部CT)を行わなければならなかったのである。「急性アルコール中毒+頭部打撲」の症例も大部分は問題ないが、中にある確率で必ずこのようなことが起こることも事実である。理屈では分かっていながら現実的にできなかったことが悔やまれる一瞬である。